紙のみぞ知る

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【お目汚し】雪道の夜のこと【怪談】

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※ この怪談はフィクションです。

 

 

 

 

 

 

 

ある夜、急にコーヒーが飲みたくなる。

家にストックは無い。

仕方がないので近くのコンビニまで行くことにする。

部屋着にお気に入りのコートを羽織って玄関のドアを開ける。

外に出てドアを閉める。

鍵を回す。

ガチャリ。

音がした。

 

アパートの階段を下りる。

エントランスをぬける。

夕方まで降っていた雪で一面銀世界。

街灯が反射し、オレンジ色に照っている。

道路に積もった雪が踏みしめられてシャーベット状に。

転ばないよう気をつける。

ゆっくり歩いているので足音はしない。

静かな夜。

 

向こうからカップルが歩いてくるのが見える。

楽しそうに何かしゃべっている様子。

幅のせまい道ですれ違い、体がぶつかりそうになる。

カップルの男性は、すみませんと言う。

いや、正確には言ったと思われる。

声が小さいため聞き取れなかったが、ばつの悪そうな顔で口を動かしていたので、たぶんそういうことだろう。

ぶつかりそうになったのはお互い様なので、別に気にもかけない。

静かな夜。

 

交差点の信号を渡り、左に曲がって数十メートル先にお目当てのコンビニがある。

信号待ちをしているときに、車が何台か通り過ぎる。

不思議なことにエンジン音に全く気づかない。

最近は音の静かな車も多くなったもんだ。

そんなことを思う。

静かな夜。

 

ようやくコンビニに着く。

自動ドアが開く。

おや? ここの自動ドアって開くときに音がしなかったか。

故障してるのかな? まあ別に気にもかけませんが。

客は俺ひとり。

店員のおっちゃんは眠そうな顔をしてレジにつっ立っている。

いつも愛飲しているコーヒーのホットを買うと、そそくさとレジへ向かう。

おっちゃんは何も言わずバーコードリーダーを俺のコーヒーにあてがう。

無愛想な定員だ。

するとおっちゃんが不意に何かしゃべりだす。

いや、正確には口を動かしている。

何といっているかは分からない。

きょとんとしていると、おっちゃんは少しいらっとした面持ちでこう口を動かす。

コチラフクロニオイレシマスカ

ああ、と得心がいく。

おそらくそう言ってるであろうと推測した俺は、黙って手のひらをおっちゃんに向ける。

おっちゃんはぶっきらぼうにコーヒーへ店のシールを貼り付け、やまり黙って俺に差し出す。

こんな態度の悪い店員ははやくクビにすればいいのに。

コーヒーを受け取り、店を後にする。

自動ドアの音はやはり鳴らない。

静かな夜。

 

温かいコーヒー缶をカイロ代わりにしつつ、家へと戻る。

再び交差点で信号待ちしていた俺のそばで一台のトラックが猛スピードで駆けてくる。

トラックのエンジン音に気づかず、俺はトラックが通過した横断歩道にあった水たまりの泥をかぶる。

コートが泥まみれになる。

とっさにトラックのナンバープレートを確認しようとしたが、暗がりの中見ることはできない。

くそ、これではクリーニング代を請求できない。ひどい運転をする奴もいるもんだ。

コーヒーを買ってほんのりしたしあわせな気分をぶち壊したトラックを呪う。

静かな夜。

 

悪いことは続くもの。

先の泥跳ねで気分が滅入っていた俺は、行きがけに注意していたにも関わらず、想いっきりすっ転ぶ。

大きく尻もちをつき、握っていたコーヒーを思わず手放す。

もう、何なんだ今日は。

そうひとりごちると、したたか打った腰に手をあてがいつつ投げ出されたコーヒーを再度掴む。

缶の形が少し変形している。

しりもちをついた音も、缶が転がる音も、ひとりで愚痴ったはずの声も、何も聞こえない。

なにもかにも雪のせいだ。

静かな夜。

 

アパートのエントランスに到着し、階段を上がる。

まったく、コーヒーを買うだけなのに、なんでこんな目にあわなきゃいけないんだ。

自分の部屋のドアまでたどり着く。

鍵を回す。

…………

…………

静かな夜。